2012年11月29日

うん。

先日、とある講習会に参加してきました。

講義の内容がなんであったかは本編とは関係ないので省きますが、その中で社会保険労務士の方が講義をされる時間がありましてね。

その方が講義の冒頭で

『この中で私と同業の方はいらっしゃいますか?』

と尋ねられました。

つまり、受講生の中で社労士の方がいるかを聞かれた訳です。

すると教室内で4人ほどの方が挙手され、そのうちの一人が僕の3列ほど前のおじさん。


講義の最後に〇と×のカードが配られ景品を賭けたクイズが実施されることとなった(クイズ内容は社会保険に関する事)ので、不誠実な僕は3列前のおじさんに運命を託すことを決め、彼と同じカードをあげていったら、あろうことか彼は3問目で間違えた。

で、その後行われた2回戦では自力で行くことを決めてクイズに参加しましたが、結局7問目で死亡。

それはそれで仕方のない事だけど、納得いかないのは3列前のおじさんが2回戦は順当に正解を続けて勝ち残り、挙句、最後のじゃんけんまで勝利して景品をゲットしたこと。

なんやねん!と思ったけど、要はついとらんのです。



子供のころからわりに小銭を拾うタイプだったので『僕は運がいい』と思っていましたが、ことしの夏ころ、今のペースで小銭を拾い続けてもチャラになるには1000年以上かかるのではないかと思える金額を落とした。


はい、ついとらん。


いつからツカンポな人間になったのか振りかえってみると、思い当たる節が一つあって、それは僕の麻雀の師匠に行きあたる。

その人は自分がついてないことを前提にして自らの麻雀スタイルを確立し、それを僕に叩き込んだ。

お利口な僕はそれをどんどん吸収し、自分の手牌の勢いより相手の手の内や場の状況を推察し、可能な限りの不幸を避ける雀風を身につけて行ったのだが、反面、ちょっとした不幸にも敏感になった。


つまり、人知れずこっそり危険を回避する事に楽しみを見出して行った結果、細かなアンラッキーでさえ不幸と認識するようになってしまったのではないかと。


ただ、このテの人間の傾向として、通常程度のラッキーは理屈からいって当然だと考えている節があって、そこが誠に始末が悪い。

恵まれた部分は当然で、そうじゃない部分は不幸。


なんとわがままなお人ですこと。



で、僕の一方の友人であるKさん。

以前にも書いたかもしれませんが、彼は1万円札を崩したいからといってコンビニに行き、300円分ほどの商品をもってレジに行って10500円だすような人物なのだけど、彼とともに暮らした数年間、横で見ている僕が涙目になって笑うほどのアンラッキーに遭遇していましたが、常に泰然自若、たいして気にするそぶりもなく受け入れ今も幸せに暮らしている。


やっぱりね、少々の不幸なんか気にせずヘラヘラしてる方がたまにあるラッキーに対して素直に感動できるのだろう。


Kさんの基本データ

・付き合っていた彼女と同棲することになり、自分のアパートを引き払って彼女の部屋に転がり込んだ途端に別れ、部屋もなくなり家財道具とともに途方に暮れる。

→別れるにしても、部屋の解約前なら・・・。


・付き合っていた彼女の部屋に遊びに行く事になったが、彼女はネコを飼っており彼はネコアレルギー。
 2択を迫られた彼女がネコを選び振られた。

→彼女が飼っているのが室内犬なら・・・。


・次の日の試験に向けて、目覚ましを午前8時にセットして夜の10時に就寝。
 目ざまし時計が電池切れのため夜11時ごろとまる。
 翌朝自力で目覚めた彼は、時計を見て愕然とし、遅刻したものと諦めて二度寝する。(本来なら急げば間に合う時間)
 次目覚めた時も時計は11時のままで脳が混乱する。→結果留年。

→電池君が気力であと半日頑張ってくれたら・・・。


以上。






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Posted by るーひん at 12:32│Comments(2)
この記事へのコメント
面白かった!
Posted by alex at 2012年11月30日 13:03
あざーす!

今度Kさん特集やります。


で、振り込みしといたからねー。
Posted by 都竹事務所都竹事務所 at 2012年12月13日 16:46
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